オタクは激怒した。
「高知にはカツオと龍馬しかない」?
坂本龍馬は言わずと知れた高知出身の偉人である。社会科の教科書に留まらず、クイズ番組やゲーム、アニメなどにもよく登場し、大河ドラマでは2回も主役を飾っている。没後150年を過ぎた現在でも坂本龍馬は人気である。
いや、人気どころの騒ぎではない。
龍馬像の前では多くの観光客が像とともに写真を撮影しているし、お土産ショップには龍馬をモチーフにしたグッズがずらりと並んでいる。観光客だけでない。空港ができれば「高知龍馬空港」、マラソン大会を開けば「龍馬マラソン」、観光パスポートを作れば「龍馬パスポート」――高知の人は何かにつけて龍馬の名前を入れたがる。
しかし、あまりにも坂本龍馬が押されすぎている現状について、この一介の歴史オタクは眉をひそめている。高知の人たちに高知と言えば?と聞いてみても、自嘲気味に「高知にはカツオと龍馬しかないき」と言うことも少なくない。現地の人ですらこの認識なのだ。これはいけない。
これでは観光客や県外からやってきた人たちに、坂本龍馬以外の高知の人物を知られないまま終わってしまうのではないか?
そんなことはさせない。そんな歴史オタクの怒りで書き上げられたのがこの記事である。
とはいえ、私も詳しくない時代には本当に詳しくない。例えば戦国時代のことを書いたら戦国時代オタクから指摘が針山地獄ができるくらい飛んできそうなので、ここは比較的知識がある幕末の高知・土佐(奇しくも龍馬と時代が被っている)の人物を取り上げることにする。
そしてこの記事は単に人物を取り上げるだけに留まらない。人物ゆかりの地に訪れる、いわゆる聖地巡礼の記事でもある。「車必須」と言われがちな高知の観光地だが、免許も車も持っていない人でも公共交通機関を用いて訪れる方法があることも伝えたい。今回訪れた“聖地”はどちらも高知市から日帰りで行ける距離にあるので、高知県外の方はもちろん、高知県在住の人々の小旅行にも、「高知トラベル」におすすめのスポットだ。
なお記事に掲載されている画像について、人物の写真はパブリックドメインとなっており、それ以外の画像については私自身や同行した友人が撮影した写真(掲載許可取得済)である。
〇〇の写真!?中岡慎太郎(なかおかしんたろう)

中岡慎太郎(なかおかしんたろう)は幕末の志士である。現在の高知県安芸郡北川村の大庄屋の家に生まれ、土佐勤王党(尊王攘夷を掲げた結社)に加入。のちに開国論に転じ、犬猿の仲と言われた薩摩藩と長州藩を和解させ薩長同盟の締結を周旋したことが有名である。また、それぞれ太宰府と洛北に追いやられていた三条実美と岩倉具視、かつてバッチバチに政局争いを行った公家二人も結び付けた。この二人は明治になるとそれぞれ太上大事、右大臣のポストに就く超重要人物であり、これは明治新政府にも大きな影響を与えただろう。
慎太郎は人と人とを結びつけることで、歴史という大舞台を動かした男なのである。
しかし巷では「龍馬と一緒に暗殺された人」と、同じく近江屋事件で殺された山田藤吉とどちらか分からない呼ばれ方をされることもしばしば……(というか龍馬は即死したが、中岡は瀕死の状態で逃げ二日後に亡くなったこともあまり知られていないのでは)。これは非常に悲しい。
勇ましい顔付の写真が残る中岡慎太郎だが、彼には意外な姿を映した写真も残っているのだ。
意外な姿……それは笑顔の写真である。それがこちら。

うわーッ、めっちゃいい笑顔ー!!!!!
「笑顔なんて普通じゃない?」と思うかもしれないが、時は幕末。今のようにスマホですぐパシャパシャ撮れる時代ではない。まだ写真機が日本に入ってきて間もない時代、ここまで満面の笑みを写した写真を残した人がいるだろうか?なおこの写真は、日本初の笑顔の写真と言われているらしい。
激動の幕末を生き、その果ての明治を見る直前で非業の死を遂げた慎太郎だが、日本のために東奔西走していた彼にもこのような笑みを浮かべるひと時があったのだ。この笑顔がきっかけで中岡慎太郎に興味を持ったという人も、きっといるのではないだろうか。
中岡慎太郎の聖地―北川村 中岡慎太郎館―
慎太郎の出身地・北川村(きたがわむら)は、高知市から約60kmのところに位置する。その北川村にある中岡慎太郎館(なかおかしんたろうかん)は、慎太郎の生涯や功績を紹介するだけでなく、慎太郎やゆかりの人物に関する資料を展示する記念館だ。
JR高知駅からJR土讃線土佐山田(とさやまだ)行に乗って東に15分ほどでJR後免(ごめん)駅に着く。後免駅で土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の奈半利(なはり)行に乗り換え、そこからおよそ1時間のぶらり電車旅だ。道中では阪神タイガースのキャンプが行われることでも有名な安芸市営球場(安芸タイガース球場)を見ることもできる。
ところで、ごめん・なはり線の各駅には高知県出身の漫画家・やなせたかし先生がデザインしたキャラクターたちがいるするのだが、私の推しは、終点の奈半利駅のキャラクター「なはりこちゃん」である(画像左)。糸目がとてもかわいらしい。

(右)奈半利駅と北川村をつなぐ北川村営バスの画像
ごめん・なはり線の終点・奈半利駅に到着したら北川村村営バス(画像右)に乗り換え、で柏木(かしわぎ)というバス停まで向かう。その他の停留所には、モネが愛した風景を再現した北川村「モネの庭」マルモッタン最寄り・モネの庭や、日帰り入浴も楽しめる北川村温泉ゆずの宿最寄り・小島もある。ここから分かるように観光客に嬉しい交通機関であることはもちろんだが、村民の生活に必要不可欠な施設に近い停留所も多く、村民の足としても活躍していることが伺える。道中には慎太郎が庄屋見習い時代に栽培を奨励した柚子の木が、数多く植えられているのを見ることができる。おそらく今想像されているであろう本数の100倍は多い。柚子だらけ。マジで柚子だらけ。
柏木でバスから降りれば、目的地である中岡慎太郎館は目の前である。

中岡慎太郎館は、慎太郎の顕彰活動を行ったり、慎太郎関連の人物の資料を集め展示する記念館である。
1階では中岡慎太郎の生涯を紹介している。パネルは時系列で展示されており、若き頃の慎太郎に影響を及ぼした人物や、慎太郎の活動に関係する人物も紹介されているので非常に分かりやすい。また、パネルだけでなく映像もあるので、「歴史は苦手!」「全然わからない!」という人でも楽しんで見て学ぶことができる。
2階では慎太郎や慎太郎と交流のあった人物たちの資料が展示されている。慎太郎たちが暗殺された際に血痕が残った屏風の複製や、実際に慎太郎が着用していた袴など、貴重な資料を見ることができる。年数回行われる企画展の会場もこの2階にある。私は今回2025年2月に訪れたのだが、木でできたひな人形や、刀の展示が行われていた。
さて、旅には空腹がつきものだ。周囲に軽食が買えるコンビニやスーパーはないが、中岡慎太郎館を出て徒歩1分、走れば30秒の位置にある慎太郎の顕彰会店舗内にある「慎太郎食堂」ではお昼ご飯や軽食を食べることができる。今回、私は日替わりメニューである「きたがわランチ」のスタミナ肉豆腐をいただいた。

こういうのがいいんだよ、こういうのが
お分かりいただけるだろうか、このTHE・家庭料理感。メニューにあったコンセプトには「『ふつうに美味しい』お家ごはん」と書かれていたが、その通りである。100万ドルの夜景を臨むレストランのコース料理のような、特別な美味しさはない。けれども、のどかで自然豊かな北川村の昼下がり、奈半利川の流れが心地よい中で食べるなら、こういう馴染みのある料理が一番なのではないだろうか。味も「ふつうに美味しい」。デザートとして、白玉ぜんざいゆず風味とゆずジュース(アイス)もいただいた。ぜんざいの中に柚子の皮が入っており、香りを存分に楽しむことができる。またここの店主さんは茶道の師範でもあるらしくメニューには抹茶セットも用意されている。次回訪れた際はぜひいただきたい。
周囲には慎太郎の生家や、慎太郎の功績を記した長い石碑が設置された中岡慎太郎記念公園、幼い頃の慎太郎が飛び込んで遊んでいたという巻の渕を見ることができる展望所がある。どれも歩いて5分もかからないので、昼食後の軽い運動やバスの待ち時間にいかがだろうか。
中岡慎太郎館に行くことで慎太郎について学べるのはもちろんだが、慎太郎を育み、庄屋見習いとして慎太郎が育てた北川村の風景を楽しむことができる。一周見て回ってもかかる時間は長くても二、三時間で、同じ日に別の場所を見て回ることもできる。毎年11月には「慎太郎とゆずの郷祭り」も開催されており、当日は各施設の入場料などがお安くなるだけでなく、北川村の魅力にさらに触れることができる。
歴史好きだけでなく、柚子が大好きな人、北川村に興味がある人、ガッツリではなく適度に自然に囲まれたい人にもおすすめだ。
- 中岡慎太郎館公式サイト|幕末の志士、中岡慎太郎の生きざまに触れる歴史資料館|高知県安芸郡北川村
- 公式HP | 慎太郎食堂
- 村営バス時刻表・運賃表 | 高知県北川村 公式ウェブサイト|高知県ゆず王国の北川村
高知のウォーリー!?田中光顕(たなかみつあき)

田中光顕(たなかみつあき)も慎太郎同様、幕末の志士である。現在の高知県高岡郡佐川町の土佐藩家老深尾家家臣の家に生まれた。土佐勤王党に参加し活動したが、三条実美らが京を追われた八月十八日の政変で謹慎処分を受け、脱藩。高杉晋作の弟子となったり、陸援隊の幹部として鳥羽伏見の戦いでは高野山挙兵で活躍した人物である。明治に入ってからは様々なポストに就任したが、特に宮内大臣を長く務めた。
ところで光顕の名前を「この記事で初めて聞いた」という人は少なくないのではないか。それもそうだろう。彼の生涯の前半には、誰もが知っている出来事や人物に関する功績が少ない。つまり書きにくいのだ。
ではこの田中光顕、いったい何が特徴なのかというといろんなところに出てくるのだ。

というのも光顕は幕末生まれ昭和没、95年の人生を全うした超長生きな人物なのである。超長生きな光顕はその人生を通して、かつての仲間たちの顕彰活動をした。めっっっっっっちゃした。志士たちに関する資料や志士たちが作った作品を収集し博物館や記念館に寄贈、また回顧録も数冊出版した。志士たちの子孫の救済も行い、その結果、多くの志士たちの名誉が回復された。桂浜の坂本龍馬像にも関わっており、龍馬が有名になった一因と言っても過言ではないのではないだろうか。画像の通り先述の慎太郎館近くにある石碑にも訪れている。光顕の顕彰活動のおかげで、私たちは彼らの名前や功績、生きた証を知ることができるのだ。
幕末の(特に高知出身の)志士に関する展示や看板、石碑を見ていると、光顕の名前がよく出てくる。もはや「ウォーリーを探せ」ならぬ「光顕を探せ」レベルで出てくる。光顕の名前を探す旅をやってみたら、一週間は潰れるかもしれない。
田中光顕の聖地―佐川町 青山文庫―
しかしそんな高知のウォーリー・田中光顕も地元では隠れられない。光顕の出身地・佐川町(さかわちょう)は、高知市から約28kmのところに位置する。その佐川町にある青山文庫(せいざんぶんこ)は幕末や明治維新に関する人物の残した資料を主に展示している博物館である。
JR高知駅からJR土讃線須崎(すさき)行、もしくは窪川(くぼかわ)行に乗り西へと揺られることおよそ一時間、JR佐川(さかわ)駅で降りる。ちなみにこの佐川町、最近では連続テレビ小説『らんまん』の影響で牧野富太郎(まきのとみたろう)の出身地としても有名になり、佐川駅構内にもところどころに牧野博士を思わせる装飾が施されている。
JR佐川駅から青山文庫へは徒歩で向かう。道中にはこのような案内がいくつもあるので、これに従って進めば基本的に迷うことはないだろう。歩くことおよそ10分で青山文庫に到着する。

青山文庫は光顕が寄贈した資料や牧野富太郎についての展示を見ることができる記念館である。
メイン展示室である歴史展示室は、光顕が収集した幕末や明治維新に関する人々の遺した手紙や作品などを中心に展示している。この「幕末や明治維新に関する人々」って誰?という話なのだが、大久保利通、伊藤博文といった教科書に必ず出てくる人物から、坂本龍馬、武市半平太など高知の人物、当時の志士なら絶対に知っているだろう思想家・藤田東湖など、高知にとどまらず非常に様々な人物の資料が展示されている。文庫の方に青山文庫のこだわりを聞いたところ、複製ではなく「本物を展示すること」とのことだった。歴史、特に幕末オタクからすれば垂涎もの、歴史があまり好きでない人も教科書に載っている人物の新たな一面を知ることができる資料ばかりである。しかも展示品は数か月単位で変更されるので、訪れるたびに別の資料を見ることができる。
また青山文庫では令和7年10月から、ゲーム『刀剣乱舞ONLINE』とのコラボ企画で、佐川町出身の刀工・南海太郎朝尊(なんかいたろうちょうそん/ともたか)の作品や資料が展示される「特別展 南海太郎朝尊」が開かれている。私は刀の鑑賞に関しては全く知識が無いのだが、そんな人でも展示を楽しめるよう刀の鑑賞方法の案内もあった。初心者に優しい。特別展は令和7年12月7日まで開催されているので、この機会にぜひ見に行ってほしい。
歴史展示室を出てすぐのところにある牧野富太郎室では、佐川町出身の植物学者・牧野富太郎の生涯を紹介する展示が行われている。連続テレビ小説『らんまん』で富太郎を知った人も多いのではないだろうか。歴史展示室と比べるとかなりこじんまりとした広さだが、一人の人物に絞っている分よりじっくりと牧野博士について学ぶことができる。
お手洗いに行くまでの道には、九如園(くにょえん)という日本庭園が広がっている。江戸時代から続く庭園で、季節に合わせて様々な植物たちの姿を眺めることができる。静かな庭に池の魚が暴れる音が時々響く様子は、心を落ち着かせ、時間を忘れさせてくれる。柵がないので転落には注意しなければならないが、ないことでより庭園の美しさを味わえるのだ。
展示を見ているとお腹が空いたので、近隣にある「旧浜口家住宅」に訪れた。この浜口家は佐川町で酒造を営んでいた家で、現在は観光協会運営の休憩所とお土産屋になっている。がっつりとした食事はないが、小腹を満たせるカフェメニューが豊富だ。今回私は冬季限定のぜんざいメニューである、栗ぜんざいをいただいた。

あ~~~沁みる
冬季限定のぜんざいは、道中で冷えた体をじんわりと温めてくれる。体だけでなく心まで溶かしていくようだ。ぜんざいの甘みも旅の疲れによく効くような気がする。ちなみに、ぜんざいに入っている栗は佐川町産のものが使われている。佐川町は栗の生産が盛んであり、訪れた10月はちょうど旬だった。ほくほくとして素朴な甘みがぜんざいとマッチしている。また一緒に運ばれてきたお茶も佐川で生産されている「さかわ茶」であり、ぜんざいで甘くなった口を優しくリフレッシュしてくれた。今回は寒い時期に訪れたが、暑い時期に食べるとおいしいかき氷もメニューにある。画像を見るとかなり大きそうだ。高知は夏の暑さが厳しいが、旧邸のおだやかな時間とかき氷で涼んでほしい。
青山文庫の周囲には、かつて須崎警察署の分署としても利用された旧青山文庫、佐川の町並みを再現した模型を見ることができる地場産センター、光顕が命名したことで知られる地酒・司牡丹(つかさぼたん)の販売所、牧野博士の生家跡地に建つ牧野富太郎ふるさと館、牧野博士の名前を冠した牧野公園などのスポットがある。牧野公園は公園と言うよりもハイキングコースのようになっており、道中には植物の名前が記された小さな看板や、植物の名前を冠した小道が多数ある。ゆったりと歩きながらガッツリと自然に触れることができるスポットだ。
青山文庫は光顕の収集した幕末・明治維新の人物たちの遺墨や、牧野富太郎に関する資料を展示する博物館である。教科書に載る人物たちが残した作品や手紙を見ることができる貴重な博物館だ。また、周囲には自然に囲まれた牧野公園、佐川の名産品を用いた軽食を食べることができる旧浜口家住宅、司牡丹の販売所、牧野公園もある。
歴史好きだけでなく、自然に触れたい人、佐川町に興味がある人、そしてお酒が大好きな人にもおすすめだ。
最後に―歴史と高知トラベル―
人間一人の力は微々たるものだ。しかし、何人もの人間が長い年月をかけて努力してきた末に、今の私たちの暮らしがある。
高知の歴史も、龍馬だけでできているのではない。平安時代には朝廷の支配下に置かれ、長曾我部の四国平定、山内家が治めた江戸時代、板垣らが中心となって始まった自由民権運動、太平洋戦争、国体の開催……個別の事象を拾い上げてみればキリがない。高知の歴史は様々な人物、事象が重なり合って紡がれてきた。
この記事で紹介した慎太郎や光顕以外にも、高知ゆかりの歴史人物はたくさんいる。その人物の聖地巡礼をすることで、まだまだ知らない高知の魅力に気付くこともある。歴史を目当てにした観光でなくても、その地域の歴史を知ることで観光スポットや地元の食材、お土産についてより深く理解することができる。
歴史を少し知ることで、あなたの高知トラベルは100倍も1000倍も面白くなるかもしれない。
「そもそも高知の歴史人物を知らないよ~」という人も多いだろう。そういった方はまず、高知城から歩いて徒歩30秒のところにある高知城歴史博物館にぜひ足を運んでみてほしい。
高知城歴史博物館や、その他歴史スポットについて書かれた記事↓

青山文庫の特別展と同時開催された、高知城博物館の企画展について書かれた記事↓

人々のくらし・民俗も歴史の一部である。そんな民俗に関する記事↓

ここまで読んでくれた方へ、今すぐ旅に出よう。
高知の歴史は、いつでもあなたを待っている。

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