あなたが知らない音楽
あなたは普段どんな音楽を聴いているのだろうか。
あなたが知らない音楽
いつのまにか、音楽は“流すもの”になってしまった。
でも本当は、もっと近くで、息づかいのように感じるものだったはずだ。
このブログでは、そんな“生きている音”を鳴らすアーティストたちを紹介していく。
名前を知らなくても大丈夫。
きっとどこかで、あなたの心と同じリズムで鳴っている。
betcover!! — その音を生で聴く理由がここにある
betcover!! は柳瀬仁郎を中心としたプロジェクトである。若さを感じさせる衝動性と、年季を経たような音の深みが同居しているのが特徴だ。
音像はジャズ的な揺らぎとノイズの奔流、歌謡的なメロディが折り重なり、聴くたびに別の顔を見せる。スタジオ盤で「いい」と思っても、ライブで彼の音に触れた瞬間、理解の仕方が変わるはずだ。音が空気を震わせ、観客の呼吸や床の振動と混ざり合うとき、音楽は情報から体験へと変わる。
有名人の評価も注目に値する。King Gnu の常田大希がラジオで彼の名を挙げたこと、海外レビューで「既存ジャンルの外側に立つ」と評されたことは、単なる話題作りではない。これらの言及は、betcover!! が単なるインディーの“面白い音”を超え、音楽の受け手の価値観を揺さぶる存在であることを示している。だが肝心なのは、評価の数値や批評ではない。ライブ会場でしか得られない体験そのものである。
なぜライブか。音の立ち上がり方、ギターの微かなノイズ、演者の息づかい──録音では切り取られる細部が、ライブでは時間軸の中で連なり、観客の感情を動かす。それは映画館で観る映画と、自宅のスマホ画面で観る映画の差ではない。もっと原始的で、もっと直接的だ。小さなライブハウスの密度の濃さ、近さゆえに発生する偶発的な化学反応は、音楽体験を「共有された事件」へと昇華させる。
もしあなたが「この音を生で確かめたい」と思うなら、それは正しい直感である。betcover!! の音は、小さな箱でこそ、より濃密に、より生々しく響く。ライブハウスで彼のようなアーティストに出会えれば、料金は映画一回分程度で、人生観が少しだけ揺らぐ夜を持ち帰ることができるだろう。
Cody・Lee (李) ― 日常の中に小さな映画があるバンド
Cody・Lee (李) は、日常をまるで映画のワンシーンみたいに切り取るロックバンドだ。特別なことを歌っているわけじゃない。コンビニの灯り、帰り道の会話、部屋でぼんやりする時間──誰もが経験している瞬間を、ちょっと不器用で、でも確かに「生きてる」と思わせる音に変える。
サウンドは、軽やかなギターと少し気だるいボーカルが特徴。どこか都会の午後の匂いがする。たとえば「我愛你」や「異星人と熱帯夜」は、ふざけてるようで芯がある。曲の構成もシンプルだけど、一瞬で空気を変えてしまう。ロックというより「青春映画のBGM」と言った方が近いかもしれない。
歌詞には、恋や孤独、無力さと優しさが同居している。どこにでもいる若者が、どこにでもある日々の中で、ちょっとした希望を見つける。そんな視点がこのバンドの魅力だ。難しいことは何もなくて、「なんとなく好き」と感じる人が多いのも納得できる。音楽に詳しくなくても、彼らの曲を聴くと「あ、こういう気分、わかる」と思える。
そして何より、このバンドの真価は“生”でこそ発揮される。録音された音よりも、ステージで鳴らされる瞬間の空気が圧倒的にリアルで、観客の息づかいごと音楽に変わる。音楽を聴くというより、共に暮らすような体験。
PEDRO ― まっすぐで、不器用で、心をえぐるロック
PEDRO(ペドロ)は、BiSHの元メンバー・アユニ・Dによるソロプロジェクト。
けれど「アイドルの延長」なんて言葉ではとても括れない。彼女の音楽は、むき出しの感情をギターとベースで叩きつける“本気のロック”だ。
まず耳に飛び込んでくるのは、荒削りな音。ベースが唸り、ギターがかき鳴らされ、ドラムが容赦なく叩きつけられる。だけど、その中で歌う声はどこか繊細で、壊れそうなほど真っ直ぐだ。強がっているようで、実は誰よりも不安定。そんな二面性がPEDROの最大の魅力。
歌詞はとにかく人間くさい。
たとえば「浪漫」では、自分の弱さを認めながらも前に進もうとする姿が描かれ、「自律神経出張中」では、混乱する心の内をそのまま吐き出している。格好つけない。飾らない。むしろ不器用さをそのまま武器にしている。だからこそ、聴いていると「これは自分のことかもしれない」と思えてくる。
そしてPEDROを語るうえで欠かせないのが、ライブの存在感。
ステージでは、アユニ・Dがまるで心の中を全部さらけ出すように歌う。完璧じゃない。だけど、その不完全さこそが観る者の心を動かす。汗も、息も、震えも、全部音楽に変わる。音楽というより「生きている瞬間」を目撃しているような感覚だ。
もしあなたが、最近の音楽を“BGM”みたいに流して聴いているなら、PEDROの音はきっと衝撃になる。
誰かの歌じゃなく、 “誰かそのもの”がそこにいる。
生きた音に触れる場所 ― 高知のライブハウスへ
音楽を“聴く”だけじゃなく、“感じる”瞬間がある。
イヤホン越しでは決して届かない、息づかいや、スピーカーを突き抜ける低音の衝撃。
それが味わえるのが、ライブハウスだ。
たとえば、ここまで紹介してきたbetcover!!やPEDRO、Cody・Lee(李)のようなアーティストたち。
彼らの音は、録音された音源以上に“生”でこそ真価を発揮する。ステージで生まれる即興の一瞬、観客との掛け合い、音がぶつかり合って形を変える瞬間──あれは録音では二度と再現できない。
そして驚くことに、そんな“今”を生きる音楽を高知でも体験できる。
東京や大阪まで行かなくてもいい。街の一角に、扉を開けば音が鳴っている場所がある。
たとえば、X-pt.(クロスポイント)。
高知市中心街にあるライブハウスで、全国ツアーを回るアーティストがよく立ち寄る。
照明は派手すぎず、音のバランスがとてもいい。観客との距離が近く、ステージの汗や表情まで見える。
実際、Cody・Lee(李)やPEOPLE 1など、注目の若手バンドがここで熱狂的な夜を残していった。
もうひとつはCARAVAN SARY(キャラバンサライ)。
こちらは少し歴史のある会場で、地元バンドからベテランまで幅広く出演する。
“ライブハウス”というより“音楽の交差点”のような場所。
観客も出演者もフレンドリーで、初めて足を運ぶ人でも居心地がいい。
最近では、betcover!!のような“深く刺さる系統”のアーティストも全国ツアーで立ち寄るようになり、SNSでは「高知のオーディエンスは熱い」と評判になることも多い。
つまり、音楽を“聴く”だけの時代はもう終わった。
スマホで再生する音楽が“静かな読書”だとしたら、ライブハウスで聴く音は“生きた会話”に近い。
体ごと震わせて、誰かの人生と交わる。そんな時間がここにある。
次に行く休日の予定、映画でも買い物でもなく、
“ライブハウスに行ってみる”――それで十分ドラマになる。
ほんものの音に出会うということ
音楽は、ただ聴くものじゃない。
それは、誰かの生き方や迷い、衝動そのものに触れる行為だ。
betcover!!の混沌、Cody・Lee(李)の軽やかさ、PEDROの真っ直ぐさ。
どの音も違うのに、ひとつの場所に集まれば、ちゃんと「同じ熱」を持っている。
その熱は、配信では伝わらない。
スマホ越しの音は、便利だけれど、きれいすぎる。
本当に心を揺らすのは、アンプの音が胸を打つ瞬間や、隣の誰かが同じリズムで揺れている光景だ。
高知のライブハウスは、そうした“生きた音”に出会える場所だ。
有名か無名かなんて関係ない。音が鳴った瞬間、その空間だけは本物になる。
そして、そこにいた自分も、少しだけ変わる。
次の休み、ちょっと勇気を出して扉を開けてみてほしい。
そこには、まだ知らない自分の感情と、確かに生きている音が待っている。
レッツ高知トラベル

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