はじめに
高知トラベルをご覧の皆さん、突然ですが、皆さんは高知県の観光地と言われると何を思いつきますか?カツオのたたきを食べにひろめ市場?それとも坂本龍馬像を見に桂浜でしょうか。もちろんそれらも大変魅力的です。が、穏やかな時間の流れる空間で感受性を高めたい、そんなちょっと「オトナ」な楽しみ方ができるスポットがあるのです。
ズバリ、「香美市立やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム」です。え?と思った方もいるでしょう。アンパンマンって子供向けじゃ?と。しかし、ここではどちらかというとアンパンマンというより、作者であるやなせたかしにフォーカスされた展示物が多く、大人も十分に楽しめるスポットなのです。
この記事では実際にやなせたかし記念館を訪れた私が知った、やなせたかし記念館の魅力とやなせたかし氏が残した美しい言葉を紹介します。
やなせたかし記念館とは?
まずはやなせたかし氏について簡単な紹介をしたいと思います。
やなせたかし氏は1919年2月6日、高知県の現在香美市香北町にあたる在所村に生まれました。終戦後に三越百貨店宣伝部に入社し、包装紙のレタリングを手がけました。その後、漫画家として独立し、多数の連載漫画を手掛けるようになります。しかし漫画の仕事は徐々に減少。漫画家のほかにもテレビ、ラジオ番組の構成や、部隊の美術監督など、様々な創作活動を行うようになります。ここでみなさんご存じの「手のひらを太陽に」も誕生します。のちに代表作といえる「アンパンマン」を発表、1988年にはテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の放送が開始されました。
このように多彩に見えるやなせたかし氏は、実は多くの苦悩がありました。先ほど記述したような漫画の仕事の減少のほかにも、連載の打ち切りや自分には才能がないと自信を無くすこともありました。やなせたかし氏が責任者となって発行されていた雑誌「詩とメルヘン」の編集後日記に活動への苦悩がありながらも、自分の世界を作り出し、希望を見出していく思いが綴られています。そんなやなせたかし氏の半生や創作に対する情熱、こだわりを知ることができる場所がやなせたかし記念館なのです。

やなせたかし氏の思いと今も輝く言葉たち
「明けない夜は ありません」
先に触れたように、やなせたかし氏は遅咲きの作家でした。必ず光は差してくる、と自分に言い聞かせ、仕事がなくても漫画を描き続けました。やなせたかし氏の詩を読んでいると『希望』という言葉をよく目にします。実際に、やなせたかし詩画集「希望」には、絶望の隣には希望があるといった内容があります。この詩はやなせたかし氏の創作活動における根本的な考え方が垣間見えます。
このように、やなせたかし氏の創作への強い思いを知ってからやなせたかし氏が作った詩や歌詞、残した言葉を読むと印象が180度変わります。いまもなお、読者の私たちに諦めない強さと決して希望を見失わないことの大切さを教えてくれる、そんな言葉たちに出会える場所でもあるのです。
最後に
やなせたかし記念館にはもちろんのことながらアンパンマンミュージアムもあり、アンパンマンたちの暮らす街のジオラマや等身大のアンパンマン号、キャラクターのパネルなど、子供から大人まで楽しめる施設となっています。Tシャツや絵本をはじめとしたグッズもたくさん販売されており、お土産選びにもぴったりです。

私は実際にやなせたかし記念館で詩を読んだり、「詩とメルヘン」の編集後日記を読んでいると、自然と目頭が熱くなる思いがしました。もしあなたが何かの壁にぶつかっていたり、少しでも悩みがあるときは足を運んでみてください。きっとやなせたかし氏の言葉に救われ、帰るころには足取りも軽くなっていることでしょう。
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