- 福山城
新幹線のホームから間近に見える全国的にも珍しいお城

福山城は徳川幕府から西国鎮護の拠点として、譜代大名水野勝成(徳川家康のいとこ)が元和5(1619)年に備後10万石の領主として入封(大名が与えられた領地に入ること)、築城し、元和8(1622)年に完成したお城である。江戸時代建築最後の最も完成された名城としてたたえられていた。当時石高に対して破格の規模を誇った。伏見櫓と筋金御門は1622年の福山城築城の際に将軍徳川秀忠拝領したもので、国の重要文化財に指定されている。
伏見櫓は築城の際に、京都伏見城の「松の丸東やぐら」であった遺構を徳川秀忠が移建したもので、白壁3層の豪華な姿に桃山時代の気風がうかがうことができる。
福山城歴代の藩主は、水野家5代、松平家1代、阿部家10代と続き、廃藩置県に至るまでは藩政の中心であった。
明治6(1873)年に廃城となり、多くの城の建物が取り壊され、さらに昭和20(1945)年8月の空襲によって国宝に指定されていた天守閣と御湯殿も焼失することになる。その後の昭和41(1966)年の秋に、市政50周年事業として天守閣と御湯殿、月見櫓が復元され、天守閣は福山市の歴史を伝える博物館として藩主の書画・甲冑などが展示されている。
当時の福山城の天守北側には、防御力を上げるための鉄板が張られていたことから、全国からの寄付により「全国唯一」と呼ばれる鉄板張りなどの福山城天守の外観復元をはじめとした「令和の大普請」が完了した。
2. 鞆の浦

昔ながらの街並みを多く残す鞆の浦(とものうら)は、江戸時代に建てられた伝統的な町家や港湾施設が一体となって現存する、全国的にも珍しい港町である。かつての日本の大動脈である瀬戸内海の中央に位置している鞆の浦は、満ち潮と引き潮がぶつかる場所でもあったため、瀬戸内海を横断する船は一度ここで立ち止まり潮の流れが変わるのを待っていた。するといつしか「潮待ちの港」と呼ばれるようになり、人と物が行きかう寄港地として栄えた歴史を持っている。
また、日本で最初の国立公園に指定された瀬戸内海を代表する景勝地の1つ。江戸時代には北前船の寄港地としても栄え、朝鮮通信使も幕府の慶賀などのためにたびたび寄港した。
高地にゆかりのある坂本龍馬も鞆の浦に立ち寄った1人である。1867(慶応3)年4月23日に、坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」と紀州藩船「明光船」が瀬戸内海の六島沖で衝突し、鞆の浦へ曳航される途中にいろは丸が沈没した。鞆の浦には坂本龍馬が上陸した当時の港や商家、寺院などが残っている。
いろは丸は現在も福山市宇治島沖水深27メートルの海底に沈んでいる。

引用元:https://www.pref.hiroshima.lg.jp/lab/topics/20211018/01/
3. ばら公園

1945年の福山空襲によって市街地の約8割が焼け野原となった。「戦災で荒廃した街に潤いを与え、人々の心に安らぎを取り戻そう」という理由から、1956年に南公園(現在のばら公園)付近の住民がばらの苗約1,000本を植えたことが「ばらの街福山」の始まり。2016年に「100万本のばらの街」を達成した。
2024年4月13日にはリニューアルオープンを迎え、ばらは670種、7,000本に増え、市民の憩いの場所となっている。

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